trop rapide

日々はあまりにも早い。残酷なほど早い。何をしていたのかわからないくらい、一つのことに集中していたら気づいたら夜である、という日々が続いている。どうしてそんなに早く感じるのだろうと日々思っている。まだわからないが今日もまた夜が来た。早い、早すぎる。

24時間のうち、健康的に8時間は睡眠に使っていると仮定して、16時間は起きているはずだ。そのうち9時間は労働に取られていると仮定しても、単純計算で7時間は隙間時間がある。仕事の前後に食事や準備時間に1時間を取ると仮定すると残りは5時間。5時間もあるのに気づいたらのんびり過ごしている。

主にゲームだ。動画を見ながらゲームをしている。あぁなんて無駄な時間だろう。でもそれを愛してやまないのだ。不思議だ。「こんなくだらないことに時間を使っている」という優越感でもあるのだろうか?馬鹿馬鹿しいが、本当にこんなことに時間を使ってしまう。

だからこそ休みの日はアクティブに、有意義に過ごしたいと思う。それもできることが少ないのだがしたいとは思っている。特にフランス語や英語の勉強、映画を見たり、猫たちとたっくさん触れ合えると幸せ指数が上がる気がする。

最近新聞に「シニアの働き方」というところが掲載されており読んでみるととにかく働くことは体に良い、幸福度も上がる、だから無理しない程度に自分らしく働こうという記載がある。前提として若い時は必死に無理して働いていたけれど、という接続詞がある。この記事の意図や内容は理解している。けれど若い時に必死に無理して働く必要性とは?と私は首を傾げてしまった。むしろ8時間労働が毎週5日行うということ自体がきついのだが、なんでそれが当たり前なのだろう。

普通の人ならそこに通勤時間も入るよね?そして休日も決まってて有給も取りにくいよね?生理休暇だって名前だけで取れないよね・・?ここがやっぱりこの国の生きづらさの原因、根底にある気がする。これからの若い人たちにもそんな生活だよって言ってしまうことになるのは悲しい。でもかと言って行動のしていない私に発言権がないことは、しっかりとわかっている。

話は変わって。1日の時間はとてもとても、短く感じる。たぶん自由時間は5時間以上あるはずなのに短く感じる。でも映画で3時間の映画、ってどうだろう?すごく長く感じるのではないだろうか?

あの映画特有の時間が1分1秒がとても尊く貴重に描かれる雰囲気がとても好きだ。主人公が息を吸って吐くだけのたったそれだけのシーンでもとても貴重に思える。あとから「どうしてあのシーンがあったのだろう?」「どうしてあのセリフになったんだろう?」そんな考えをぐるぐるしながら考える時間も貴重だと思う。

どんな映像も情報も理解できない量が流れ込んでくる時代。自分で思っていなくてもひたすら多くの情報を振り分けながら生きている。実際にいる人間についても情報としてしか受け入れられない現実。不思議な現代。

そして私はどんな形であれクリエイターになりたいとは思っていない。でも映画の裏側を描くような作品などで「誰かがこの作品にこんな熱い感情を込めて制作したんだ」というのを感じられるドキュメンタリーやメイキングも好きだ。先日見たJohn Williamsのドキュメンタリーもとてもとても良かった。

きっとこれからも月末には仕事を辞めたくなって、年末が近づくと時の早さに辟易しながら、見たい映画を見ながら、自分についての情報を残しながら生きていく。そして30年後、私たちは何を思うのだろう?