Je vis comme je veux

お久しぶりです。なんだかんだとバタバタ過ごしていますが、もう11月。早すぎてちょっと不思議ですが、毎年こう思っている気もする。そうやって人生は続いていくのだろう、とあまり気にせず生きています。先日は久しぶりに母と祖母の葬儀の際にお世話になった教会へ。教会の静かで優しい雰囲気は好きです。インスタのストーリーで「ミサ」と書いてしまったけれど、プロテスタントは「礼拝」というそうです。何もかも、無知。

今、日本の首相の石破さんは熱心なプロテスタント教徒だそうです。私の母は自分の両親を構成していたプロテスタントという教会や宗教を理想化しすぎているという印象を少し前から思っていました。最近、石破首相がプロテスタントというところから、結局は人の生き方で判断すべきでは・・?という気持ちが強くなり。母の姉にもそれを指摘されたそうで、自分でも「そうかも…」と認識していたので、私もやっと母に言えるようになりました。

母方の祖母の生きていた時代は、教会で家族を作り生活を続けていく、ということがとても大切だったよう。だからこそ苦労した面も多くあったようですが、自分の家族の根っこがそこにあったら、理想化してしまう理由もすごくわかる。わかるけれど、やっぱり宗教は学ぶ人、実践する人による。何にでも言えることかもしれないけれど「教え」や「考え」を自分勝手に使用して、自分の思い通りにしたいという願望だけを叶えることだってできてしまうかもしれない。と思うのです。

だからこそ宗教を実践するために学ぶということはとても大事なこと、と思う。そして自分自身には罪しかない、それを贖罪するために礼拝をしながら生きていくという生き方を今後自分がしっかりとできるのか、悩んでいるところではあります。ただこの日はそういったことを真摯に考えられる良い秋の日でした。

にしても、さっきも書きましたが私は何もかも宗教に関して無知。讃美歌も聖書の言葉もちょっとしか(本当にちょっとしか)知りません。祖母の葬儀の際も思ったけれど、讃美歌がすらすらと歌える方達、すごい。もちろん学ぶ環境にいないというのもあるけれど、生活の中にある宗教というものに触れる機会は面白いなと思います。

話は変わって。最近は自分の中のわがままな女の子が卑屈になった時「私は好きなことしかしていない」という言葉を繰り返し心に唱えるようにしています。尊敬する友人が教えてくれた本を読みながらいいなと思った部分を素直に取り入れている。こういうことができる柔軟な部分は誇っていいと思う、私。

落ち込むと「なんでこんなことしか」とか「この仕事向いてない」とか過去の自分が頑張って行ってきた経験や今までの道を否定するような言葉ばかり並べ始めた時に「いや違う。私は今まで好きなことしかしていない。得意とすることを伸ばしてやってきた」と言い聞かせています。だからこの道にいる、それを誇示する必要はないが、特に自己卑下する必要もないと。そうしたらいつも心がふっと軽くなるのです。ちょっとした考え方の癖を直すだけで心が軽くなる。そんな単純な人間らしい部分も大事にしていきたいです。

生理前で集中力が続かないけれど、まだまだ途中の本、引き続きじっくり読んでいきます。さて、寝ます。明日も良き日になりますよう。(もう月曜日ですね)