母からずっとおすすめされていた生きる、を見ました。黒澤明監督の名作です。母は「全日本人が見るべき映画」と大袈裟なキャッチコピーをつけておりましたが、見終わってからふわっと、自分の人生の時間について思いを馳せています。彼が感じる生きるとはどういうことか、考えさせられる。彼の作品はメッセージ性が強く「感じる」ことのできる映画であることが本当に素晴らしいと思います。
黒澤明監督の映画を見ようと思ったきっかけは水林章さんのフランス語で生きること 日本語で生まれることのおかげです。この本がなかったら見ることはなかったと思います。彼が映画と照らし合わせて、現在の日本を言語化してくださったことにとても感謝しています。自分の中の表現の語彙が広がり、視野も広がった。目を開かせていただいた、という感覚で、その本を大事にしています。
よくフォトジェニックな風景で、本を片手にコーヒーを楽しむ、ちなみにLo-Fiな綺麗な音楽もかけて・・のような写真やイラストが多くありますが、私はこれがあまりできません。本を片手にコーヒーを飲むと必ずこぼします。中身がびちゃびちゃになってボロボロになってしまう。実は大切にしていたはずの水林先生の御本もそうなってしまったので、保存用でもう一冊買い直したのです。お恥ずかしい話。
そして、音楽。確かにLo-Fiやクラシック音楽は歌詞のあるものよりは集中ができますが、集中をしてくると音楽が雑音に変わってしまう不思議。むしろ無音の方がじっと集中できる気がします。
最近は、アカデミー賞のアジア人差別とひたすらに炎上してしまった件について時々ずっと考えています。理由とかそういうのではなく、まずアジア人が多くの場面で感じていた透明化のトラウマが大きな舞台で顕になってしまったこと。そして、何より「この映画賞は全世界の人が羨む、世界一の映画賞ですよ」という誰かは偽善と表していた、そんな規模の世界で悲しい現実が呈されたことへのショックが大きいのか、と思います。私は岸先生がツイートしていた「なんか嫌な気持ちしたわー」という感覚がどんどん膨れ上がっているように感じます。
むしろそういう賞ではないという現実が少しずつ露呈してきたのかもしれません。やっぱり世界は少しずつ右傾化しているように感じる。風の時代は何を隠しても隠しきれない時代なのだと、スピ系の投稿で読みました。本当かどうかは知りませんが、とにかく人のふり見て我がふり直せということしか、私にはできません。
にしても、こんな自分の実生活にはあまり関係のない情報や話題であたふたしているうちに毎日夜を迎えます。もっと勉強したい。でもどうしてお仕事の日って勉強できないのだろう。そんなことを考えているうちに、明日の仕事まであと10時間43分・・、8時間寝るとしたらあと2時間は勉強できるのか?やるのか?私。
今日はここまでにして、また徒然なるままに言葉を綴っていきます。とりあえず明日も生きる。おやすみなさい。
