今日は落下の王国を4Kで観てきた。数年前、母がスターチャンネルというケーブルテレビで知り、とにかく良い、こことここがとてもよかった..と静かに勧められ、どうにかして一度鑑賞、最初は何が何やらわからなかったが、2回目・3回目と見直すたびにロイとアレクサンドリアの関係、空想話の世界の映像/衣装美に魅せられとても大好きな映画になった。
そんな映画は映像ソフト化されたBlu-rayがプレミア価格。いつだかのクリスマスプレゼントに母に贈り、ありがたいことに家にある状態だが、映画館という場所で観る幸せを噛み締めた1日だった。
私はロイの外的要因(自分から水の中に飛び込んだ部分はあれど、結果は事故だった)のせいで心が折れる感覚にとても共感してしまう。もちろん直接的・身体的に外的要因に傷つけられた、という大きな経験はない。ただ私は毎日毎日いろいろな小さな外的要因に傷ついて、そして私も傷つけて、生きている。
「死にたい」と思う希死念慮をずっと持っている。そして最近気づいたのは、それは希死念慮というより性悪説..この世に私は生まれてはいけなかったのだ、と日々思っているのだ。この世に産まれてはいけなかったから、生きてはいけない=死にたい、という方程式。朝起きるたび、いつもこの絶望の感覚の中で生きている。
果たして現在、自分が生きていて良かった幸せだと思っている人がどのくらいいるのだろうか。街やSNSで見える外側だけの世界はとても幸せそうに見えることが多いが、それは果たして本当なのだろうか。自分がいつも思い悩み生きているからこそ、そんなことを人に対しても考えてしまう(とても余計なお世話だが)
経済成長が見込めず、新しい政治になったところで日々何も変わらず、どんどん第二次世界大戦前の世界に近づいている日々。自分が行動を起こさないと何も変わらないよ、というそんななんでもできる人しか評価されない新自由主義の世界が大嫌いだ。何もかもが手遅れで、何もできなくて、そして生きているだけで心を傷つけられる毎日。
そんな人生に嫌気が差したとき、あの映画の最後のシーンを思い出す。「死なないで」って言われるロイの涙があまりにも美しい。その一言で生きられるロイの強さにも、アレクサンドリアの強さにも感動してしまう。
私にはそんな経験はこれ以上ないだろう。あったところで彼らのように素直に受け取れるか、そんなに優しい心で生きられるか、自信がない。
どうせ、この人も裏があるんだ。裏で何かを言っているんだ。私にだけ八つ当たりをしてくるような、そんな自分だけが大切な人々に傷つけられる日々に体も心もクタクタだ。
今まで拒絶された記憶しかない、受け入れられたという経験は本当に少なく、最初にそう感じても後から同じ拒絶をされその記憶がまた過去の記憶を呼び戻しものすごい防衛本能に襲われる。ただそれだけの毎日、生きている意味など、あるのだろうか。
そんなことをモヤモヤ考えたりしている。でもそんなこと言っても日々は来て、最近は猫たちもさらにお迎えできた。こうやってこの辛い日々を支えてくれる小さな幸せを探して大事にして生きていきたい。ずっと優しい世界で、幸せに生きていたい。
ナナヲアカリさんの「明日の私に幸あれ」という曲に応援されて生きている。眠くなったら寝てお昼過ぎに起きて、、自分の感情のままに生きていきたい。MVの家の中では少女がいて、それがチャックで閉じ込めている大人の着ぐるみの中にいる、という表現もめちゃくちゃ良い。私100%。みんなもそうだよね、、っていう部分に、なぜか安心してしまう。
こんな社会を許さない、ずっとおかしいって思っている事は言っていくし反抗していく。私を呪った人たちを私は絶対に許さない、いつもいつまでも報告して改善を求める。私を傷つけた人たち、残念だったね私はそんなに弱くない、いかなる手段を使っても、絶対にあなたたちに傷を負わせるように頑張るよ。お楽しみに。
こんな捻くれていつも辛い時間ばかりの自分にとって、今日のような日は外に出ることで見た目をディスられたり気持ち悪がられる恐怖に怯えつつ、母と一緒に過ごして自分らしくいられる、大事なお休みだった。楽しかったです。
